今日はタイトルどおりに語らせていただきます。
僕はいろいろな事(挑戦)することがすきで今は「イラストがうまくなりたい」と思い模写&デッサンをしています。
前まではそうは思いませんでした。何故なら話はさかのぼりますが小学校二年生の時に何かのポスターを誰か描いてください、と言っていたので最初は任されていたのですが後で担任の先生(教育実習の女性担任)に見せると今度は何故か「あなたはいいから別のひとが良いわ」みたいなことを言われた挙句に「僕の嫌いな奴」に任せていました。(まぁ、彼の方が明らかに絵が美味かったですしね)
それ以来絵が嫌いになりました。(しかも、その小学校では三年生、四年生の時の先生しか真剣に絵を教えず「奔放主義」でしたし)
でも、絵ではないけども習字の時間だけは特別でした。
その小学校では習字は「教頭先生」が教えていたのですがその教頭先生は女性で年齢はいわゆる「おばちゃん」でした。(失礼ながらも)
僕のクラスには習字がかなり上手く、コンクールに出せば必ずと言っても良いようなくらいの賞状をもらっていました。
「僕は褒めてもらえないよなぁ~」と、思っていたのですが毎回「○○君(僕)のは字がどっしりしていていいねぇ~」と、毎回言ってもらっていました。
あの時は何も思わなかったのですが(まことに失礼ながらも)、今は「自分にもこういう所があったのか」と、落ち込んだときによく思い返します。
その教頭先生は真面目で優しいのですが礼儀が出来ていないとその子を呼び捨てにする所もあったのですがこれがかえってよかったのかもしれません(呼び捨てられた子に対しても)、あとは「顔を真っ赤にして怒っていた」のもあります。(つまり、怒らせると怖い)
人間は「そのときそのとき」の状況によってかけてくれた言葉が「前に進むための糧」になったり、そうじゃなかったりだと思います。
僕も誰かが落ち込んでるときに糧になる事(行動でも言葉でも)してあげたいと常々思っています。
今は結局まだまだ絵は上手くないですけど僕は「天才」や「才能」と言う言葉より「努力」や「試行錯誤」という言葉が必要な時期かもしれません。(後は「自惚れるな」かな?)
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